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プロフィール
HN:
斎藤 博之
性別:
男性
職業:
フリーランス・ルポライター
自己紹介:
さいとう ひろゆき

1960年、青森県弘前市生まれ。
1997~1999年、アクセス21出版編集長
2000~2002年、『季刊シンポジオン』編集長
青森市在住、フリーランス・ルポライター/フォトグラファー。

 東北や北海道・日本海沿岸各地を主なフィールドとして、祭りや民俗芸能・地域に固有な食文化・街道や海上の道の社会文化史・温泉の文化史・地域のなかの蕎麦やラーメン・地域づくりやNPO活動などについて執筆している。
 また、スローフードやエコミュージアム・グリーンツーリズムをテーマとする地域づくりの指導もしている。

<専門分野>
イタコとオシラサマ・祭りと民俗芸能・民俗文化・縄文の社会史・街道の文化史・北前船の社会文化史・スローフード・郷土料理と食文化・地酒や味噌醤油など醗酵食品・地域のなかの蕎麦やラーメン・温泉の文化史・地域コミュニティ・農山漁村と農林漁業・観光物産・グリーンツーリズム・地域づくり・エコミュージアム・地域学・エコロジー・NPO・自分史指導・その他
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    12月上旬、「深浦の食べ物屋 セイリング」に行ってきました。
    とても真面目な、西海岸の深浦らしい料理屋さんです。
    いただいた料理の一部を紹介しましょう。


    セイリングの「海彦山彦」(青森県深浦町)

    (画像1:セイリングの「海彦山彦」)

    「海彦山彦」とは、深浦や岩崎で取り組んでいる、
    地元の旬の海の幸・山の幸を使い、
    この土地らしい郷土料理を観光客に食べていただこうという、
    活動の名前です。
    せっかく観光地に来たのに、
    宿泊施設や食堂で地元の料理が食べられなかった、
    という経験はありませんか?
    地元では旬の食材を美味しく食べているのに、
    お客さんに何か出そうとすると、
    変にあれこれ手を加えて、ありきたりのものになってしまう。
    普段食べているものではいけないのじゃないか、
    と考えてしまうからなのです。
    しかし、観光客が求めているのは、
    都会でも食べられるような料理ではありません。
    その土地でなければ食べられない料理と、
    その料理の背後にある物語なのです。
    郷土料理とは、その土地ならではの旬の食材を、
    もっとも美味しくいただけるよう、
    長い年月をかけて培ってきた知恵です。
    手間と暇は惜しまず、しかし小賢しい細工はせず、
    その素材が持っている本来の味を引き出すこと。
    そういう料理に出会ったとき、
    人は自ずとその感動を誰かと分かち合いたいと思うでしょう。
    この土地の食べ物を、この土地に伝わった知恵をもって、
    自然の恵みに感謝しながらいただく。
    「海彦山彦」とは、そういうコンセプトを掲げています。

    「深浦の食べ物屋 セイリング」も
    「海彦山彦」に取り組んでいます。
    写真は、ある日の「海彦山彦定食」のおかず。
    左下から、時計と逆廻りに、
    ・「えご天」の酢味噌和え
    ・イクラの鱠
    ・サザエの酒粕漬け
    ・サザエの刺身、アブラメの漬け
    ・ハタハタの佃煮
    このなかで説明を要するのは、「えご天」でしょうか。
    「えご天」は、「えご草」という海藻でつくる食べ物。
    日本海沿岸のところどころで、天日に干したこの海藻を
    寒天のように煮溶かして冷やし固め、
    刺身蒟蒻のようにして食べる風習があります。
    青森県でも岩崎から深浦・鰺ヶ沢・小泊にかけて、
    タレは酢醤油、あるいは酢味噌で、これを食べます。
    能登の「いご」や、九州博多の「おきゅうと」も、同じものです。


    地元で食べる「鰰白煮」が

    (画像2:地元で食べる「鰰白煮」が)

    しかし、きょうの目玉は何と言ってもハタハタでしょう。
    西海岸のハタハタは、12月上旬、雷とともに磯に寄ってきます。
    漁の期間は、わずか一週間。
    ハタハタは、疾風のように、北へ去っていくのです。
    地元では、ハタハタを「白煮」にして食べます。
    豆腐とネギだけを入れて鍋にし、醤油に付けていただきます。
    ハタハタの揚がる地元ならではの食べ方でしょう。


    烏賊刺身丼

    (画像3:烏賊刺身丼)

    ほかに、この日は「烏賊刺身丼」がありました。
    烏賊刺しに卵と大根おろしを入れてかき混ぜ、
    ご飯に載せて食べるという食べ方は、
    たぶん烏賊の甘味がいちばんわかる方法だと思います。


    セイリング自慢の洋食

    (画像4:セイリング自慢の洋食)

    ところで、このお店の自慢料理は、洋食なのです。
    なんで洋食が「海彦山彦」なの?というあなた、
    よく聴いてくれました(笑)。
    この料理には、この家の「おばあ」の野菜が使われているのです。
    写真は、左が「ビーフシチュー」、
    右がブロッコリーのスープ。
    シチューには「おばあ」の人参と玉ねぎ、
    スープには「おばあ」のブロッコリー。
    ビーフシチューの主役は、ビーフではありません。
    深浦舮作(へなし)の雪堀人参の種をまき、
    「おばあ」が農薬をかけずに育てた人参を、
    これも「おばあ」の玉ねぎといっしょに
    煮込むこと丸二日。
    これだけでもすごく甘いのですよ。
    よい人参は、煮てもあくが出ず、えぐみもなく、
    ものすごく甘いのです。
    人参は雪が降っても畑に植えたままにしておき、
    雪の下から掘り起こして使います。
    人参が自ら凍らぬように糖度を高め、
    ますます甘くなっていきます。
    二日煮込んだ人参は、旨みが凝縮しています。
    そこに、ソースを加える。
    余計なことは何もせず、何も加えず、
    加えるのは手間隙と、愛情だけ。
    スープのほうも、やさしい味わいで、
    野菜を作った人と、料理を作った人の
    真心が伝わってくるようでした。


    セイリングの店主と娘さん

    (画像5:セイリングの店主と娘さん)

    「深浦の食べ物屋 セイリング」のオーナー
    山本千鶴子さんと娘さんです。
    マスターの進さんは、はにかみやさんなのか、
    ずっと奥で仕事をしていました。
    「おばあ」にも会ったのですが、
    郷土料理の話に熱中してしまい、
    写真を撮らせてもらうのを忘れていました(笑い)。


    「おじい」が捕った海のものと、
    「おばあ」が作った畑の野菜と、
    料理を作る夫婦の真心と。
    青森県西海岸ならではの、心和む料理。
    深浦の食べ物屋セイリング
    青森県深浦町深浦字苗代沢78-34
    電話0173-74-3068
    (深浦駅を背に、国道に出たら左へ進み、すぐ)


    *「セイリング」については、「ライター斎藤博之の仕事」にも記事があります。
    「ライター斎藤博之の仕事」深浦の正月料理~セイリングの海彦山彦

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    鷹巣は、秋田県の米代川中流の街です。
    この街に「福士そばや」という老舗があります。
    繁華街から離れているわけではないのですが、
    ちょっとわかりにくい裏通りなので、
    地元の人に案内してもらいました。
    「福士そばや」には、基本的には
    「かけそば」と「中華そば」しかありません。
    あれこれと蕎麦類が置いてあるわけではないのに、
    しかし「中華そば」が当たり前のように並んでいるので、
    よその地域の方は面食らうでしょう。
    北東北では、「中華蕎麦」のことも「蕎麦」と言います。
    「蕎麦屋」にも「中華蕎麦」があり、
    「中華蕎麦屋」をも「蕎麦屋」と呼ぶのです。


    福士そばやの「さくらそば」(秋田県鷹巣町)

    (画像1:福士そばやの「さくらそば」)

    この店には、基本的には、「かけそば」と「中華そば」しかない
    などと説明しておきながら、
    わたしの頼んだ蕎麦には何やら載っています。
    「さくら」つまり馬肉です。
    醤油でじっくり煮込んであるので、すでに桜色ではありませんが、
    とても柔らかく。蕎麦とよく合っています。
    米代川流域では、ごく日常的に、馬肉を食べています。
    「そば」は「津軽そば」によく似た煮置きの蕎麦で、
    独特の甘味があり、滑らかで優しい喉越しです。
    都会で流行りの「手打ち蕎麦」とはおよそ正反対の食べ物ですが、
    これがこの地方に根付いてきた蕎麦なのです。
    まったく灰汁のない澄み切った煮干だしがよく合い、
    とても上品なご馳走でした。


    福士そばやの「中華そば」(秋田県鷹巣町)

    (画像2:福士そばやの「中華そば」)

    このお店ではお客さんのほとんどが「中華そば」を注文しています。
    細くて白い麺はストレートで、
    まったくかん水の匂いがなく、素麺か冷麦のような食感です。
    煮干と昆布がベースのスープに脂はほとんど浮いておらず、
    麺の小麦ほんらいの甘味を引き立てています。
    のびやすいので、早めに食べましょう。


    今回は、いかにも鷹巣らしい「そば」と「中華そば」を紹介しました。
    「福士そばや」
    秋田県鷹巣町花園町12-16
    午前11時~午後2時30分
    日曜日定休

    相馬町のネブタ

    相馬町のネブタ

    (画像1:相馬町子どもねぶた愛好会「羅生門」制作・野沢てつ治)

    青森のネブタは、大型ねぶたによる合同運行のほかに、
    市内の各町内会で、地域のネブタが行なわれています。
    大型ネブタでは、作り手と運行団体と跳ね人が、みな別々になってきたのに対し、
    地域のネブタには、ネブタが市民のものだったころの雰囲気が、よく残っています。
    7月29日~30日に行なわれたネブタを紹介しましょう。


    相馬町の曳き手

    (画像2:相馬町のねぶたの曳き手)
    相馬町のネブタ運行は、子どもたちが主役です。
    要所要所に大人がいて助けてくれますし、
    そもそもネブタを作ったのは大人たちなのですが、
    この日ばかりは子どもたちの晴れがましい舞台です。


    相馬町のネブタ囃子屋台

    相馬町ネブタの太鼓

    相馬町ネブタの笛と鉦

    (画像3:相馬町のねぶた囃子屋台)
    (画像4:相馬町ネブタの太鼓)
    (画像5:相馬町ネブタの笛と鉦)
    少し年上になれば、子どもたちは囃子方を担当します。
    笛・太鼓・手びら鉦のすべてを、子どもたちがやるのです。


    相馬町ネブタの運行

    (画像6:相馬町ネブタの運行)
    ネブタは町内をくまなく歩いていきます。
    ときどき、沿道で待っている人がいたり、
    花(ご祝儀)を用意している人もいます。
    かつて、このような折に、「いっぺらっせ、いっぺらっせ」(いっぱい出せ)と
    囃したのが「らっせら~」の掛け声の起源でした。


    相馬町の前ネブタ

    (画像7:相馬町の前ネブタ「暫」)
    大きなネブタの入っていけない路地には、
    小さな一人ネブタが入っていきます。
    どの路地にも、ネブタは必ず廻ってきます。


    相馬町の手持ち燈籠

    (画像8:相馬町の手持ち燈籠)
    行列のなかに、こんな燈籠を持っている人がいました。
    ネブタの製作のときに、余興で作ったのでしょうか?
    題材にあわせて、切られた鬼が飛んで行くかのようでもあります。


    相馬町のねぶた(部分)

    (画像9:相馬町のねぶた=部分)
    相馬町のネブタは、長く途絶えていたものを、数年まえに復活させました。
    ネブタ作りの心得のある人を頼んではいますが、
    町内に小屋を置き、仕事が終わればここに集まって、
    わいわいがやがやと作るのです。
    むかしは大型ネブタもこのように作っていたものです。
    ところで、制作の野沢さんは、佐藤伝蔵に教わったこともあり、
    鹿内一生の小屋にも出入りしていたようで、
    子どもネブタだからと馬鹿にしたものではありません。


    相馬町のねぶた(顔)

    (画像10:相馬町のねぶた=顔)
    「地域の人たちと一緒にネブタを愉しむことが出来て、幸せです」
    野沢さんがそう言う気持ちが、この祭りから伝わってきます。
    町内のネブタには、大型ネブタにはない楽しさがありました。

    2008年の青森ねぶた祭りは、すでに8月7日に終わっていますが、
    ご覧いただけなかった方のために、何台かのネブタを紹介しましょう。
    *本業の取材や撮影のあいまに、たまたま携帯で撮影したものです。
    *取り上げたネブタは、意図して撰んだわけでもないので、ご了承願います。


    北村隆のネブタ

    北村隆(山田学園)

    北村隆(山田学園)

    北村隆(山田学園)

    (画像1~3:山田学園「忠臣・児島高徳と范蠡」制作・北村隆)
    今年の「ねぶた大賞」「最優秀制作者賞」を受賞しました。
    北村隆は、昨年もこの淡い色使いで見るものを唸らせました。
    北村隆と山田学園は、3年連続で大賞を受賞。


    北村隆(ヤマト運輸)

    (画像4:ヤマト運輸「花和尚・魯智深」制作・北村隆)
    同じく北村隆のネブタです。「観光コンベンション協会会長賞」を受賞しました。
    向かって左手の人物の足は右手人物の頭上にあり、
    完全に宙に浮いている格好です。
    どこにも支えがなくても、この構図が作れる、北村隆の特徴です。


    北村蓮明のネブタ

    北村蓮明(日立)

    (画像5:日立「菅原道真、雷神と化す」制作・北村蓮明)
    こちらは北村蓮明のネブタです。
    「青森県知事賞」と「優秀制作者賞」を受賞しました。
    北村隆の双子の兄弟で、かつては協働で制作にあたっていました。
    極端に前傾する、左右の上隅までいっぱいに盛り上げる、
    北村兄弟に共通していますね。
    日立の囃子方は、このネブタいっぱいに広がる雷神の太鼓に合わせて、
    強く響くようにネブタ囃子を打ち鳴らしました。
    3年連続の「囃子賞」受賞です。
    なお、蓮明の作ったもうひとつのネブタ(板金)も
    「商工会議所会頭賞」を受賞しています。


    竹浪比呂央のネブタ

    竹浪比呂央(JR)

    (画像6:JR「将門の神霊、瀧夜叉を救う」制作・竹浪比呂央)
    「青森市長賞」と「優秀制作者賞」を受賞した竹浪比呂央のネブタです。
    このネブタの、大きな白い髑髏ときたら、なんでしょう。
    ネブタでは、塗り残したかのような白は、嫌われます。
    こんなことをするのは、おそらく、竹浪比呂央が初めてでしょう。
    ネブタにし難いものを扱おうとする、それが竹浪の特徴です。


    竹浪比呂央(三菱)

    (画像7:三菱「蓬田村伝説 金光上人と阿弥陀川」制作・竹浪比呂央)
    さらに、こちらのネブタの主役は、弥陀の光です。
    三菱のネブタでは、地域に伝わる伝説を取り上げています。
    地域を主題にネブタを作るのは、竹浪の師事していた千葉作龍が初めてですが、
    竹浪は怨念の世界から抜け出て、未来をも表現しようとしています。


    千葉作龍のネブタ

    千葉作龍(消防二分団)

    (画像8:消防二分団「天下布武『信長の野望』」制作・千葉作龍)
    千葉作龍は、こんにちの青森ネブタの潮流を築いた人です。
    大賞は作龍が独占していた時代がありました。
    多くの弟子を育て、他のネブタ師からの人望も集めています。


    柳谷優浩のネブタ

    柳谷優浩(日本通運)

    (画像8:日本通運「天下布武『信長の野望』」制作・柳谷優浩)
    柳谷優浩は、去年、大型ネブタの制作を休んでいました。
    休んでいるあいだ、作龍の小屋で手伝いをしていました。
    これが大いに勉強になったのでしょう、柳谷のネブタは大きく変わりました。
    本人の顔も、穏やかになったようです。
    柳谷のネブタには、以前は独特の世界観を表す言葉がありましたが、
    その表現を支えていく土台が、ようやく成熟してきたように思います。
    柳谷のこれからに、注目していきたいと思います。


    紹介したのは、すべてのネブタではなく、すべてのネブタ師でもありません。
    たとえば、名人・佐藤伝蔵の系譜に連なる制作者や、
    名人・鹿内一生の流れを汲む「我生会」の制作者が作ったネブタを、
    ここに紹介できなかったのは、たんに写真がなかったからです。
    ことしなくなった石谷進の遺志を引き継ごうとしている「愛好会」も、
    ネブタを市民の手に取り戻そうという「私たちのねぶた」もあります。
    なお、ネブタ師についての記事などを
    『あおもり草子 2008年ねぶた祭り』
    に書いたので、ぜひ読んでくださいね。

    最近はカレーライスの取材をしています。
    カレーライスは、ラーメンと同じように、日本の国民食といえるでしょう。
    ひとくちにカレーといっても、日本人はじつにさまざまなカレーを食べています。


    柿崎のカレーライス(青森市)

    (画像1:柿崎のカレーライス=青森市)

    入〆のカレーライス(青森市)

    (画像2:入〆のカレーライス=青森市)

    はじめは、老舗の蕎麦屋のカレーライスです。
    青森の蕎麦屋は、蕎麦だけではなく、ラーメンから丼物まである食堂です。
    戦後になると、カレーライスもメニューに加わりました。
    「カレー南蛮」のほうが先にメニューにあったようですが、
    作り方は「カレー南蛮」と「カレーライス」ではぜんぜん違うようです。
    蕎麦屋のカレーライスは、店ごとに作り方が違いますが、
    蕎麦に使う出汁と中華蕎麦のスープを使うようです。


    津軽の味食堂部の「ちびっこカレー」(青森市)

    (画像3:津軽の味食堂部の「ちびっこカレー」=青森市)

    次は、大衆食堂のカレーライスです。
    この店は1946年に、青森駅前で「大衆食堂」という名前で開業しました。
    カレーライスは、当初からメニューにあったようです。
    ラーメンに用いるスープを使い、アカシアの蜂蜜を隠し味にしていました。
    やがて、運動公園ができると、その入り口に移転。
    現在の県立美術館や三内丸山遺跡も、すぐそばです。
    ここで、1978年から88年までの十年間提供していたのが、
    写真の「ちびっこカレー」でした。
    運動公園では、小学校・中学校・高校のスポーツ行事が行なわれていましたから、
    ある世代の青森市民は、必ずこのカレーを食べているはずです。
    その後は、少し作り方を変えて、「大人のカレー」になっています。
    店のどこにもきどった薀蓄は書いていませんが、
    化学調味料などの添加物は使わないのが、先代からの流儀。
    子どもたちでも食べられる価格設定です。
    ここのカレーには、想い出も詰まっているのですね。


    河童亭のカレーライス(青森市)

    (画像4:河童亭のカレーライス=青森市)

    こんどは、洋食屋さんのカレーライスです。
    そもそも「カレーライス」という食べ物を生み出したのは、洋食屋さんです。
    インドには「カレーライス」はありません。
    「カリ」はインドでは惣菜という意味で、
    さまざまなスパイスを用いて調味します。
    インドはイギリスの植民地でしたから、
    本国にも取り入れられて、イギリス風の料理に変わったわけです。
    これが日本に伝わり、日本人の好むカレーライスが誕生しました。
    洋食屋さんのカレーライスは、小麦粉とカレー粉を使って作ります。
    河童亭は、師匠から口伝で教わった作り方を守っています。
    味噌汁がついてくるところが、いかにも街の洋食屋さんですが、
    カレーライスばかりでなく、この味噌汁も絶品でした。


    ANKURのランチ(青森市)

    (画像5:ANKURのランチ=青森市)

    最近は、地方都市にも、インド料理の店が出来ました。
    青森市内にも2~3軒のお店があります。
    これは、一番新しいバイキング形式のお店です。
    インドにはカレーライスという食べ物はありません。
    小麦粉を使ってとろみをつけることもありませんし、
    カレー粉というものもありません。
    料理に応じて、さまざまな香辛料を調合して使うのです。
    日本の各地に郷土料理があるように、
    いんどでも地域によって料理が違います。
    それぞれの店のインド人シェフも出身地が異なりますので、
    みな味も違っています。


    トムヤムクンのカレー料理(青森市)

    (画像6:トムヤムクンのカレー料理=青森市)

    タイ料理を代表するスープをお店の名前にしたこのタイ料理店は
    東北で2番目に旧いタイ料理専門店です。
    青森市内にはタイ料理専門店が2軒あります。
    すでにグリーンカレーやレッドカレーはおなじみでしょう。
    インド料理と違って特有のフレッシュハーブと唐辛子を用い、
    ナンプラーとココナッツミルクを使うのが特徴です。
    しかし、今回は、プーパッポンカリー(渡り蟹のカレー)と
    クワクリン(鶏挽肉のイエローカレー炒め)を作ってもらいました。
    わたしはこれにプリックナンプラーやプリックナムソームを
    かけて食べるのが好きです。


    カリ・マハラジャ(弘前市)

    (画像7:カリ・マハラジャ=弘前市)

    最後に、極めつけのお店を。
    このお店は、安全な食べ物を・良心的な価格で、を理念としています。
    玉葱から米に至るまで有機栽培。
    健康のことを考えれば自然農法が一番ですが、
    毎日毎日の食こそが薬であることを考えれば、
    良心的な価格で提供することも考えなければなりません。
    チャパティやロシも国産小麦粉で添加物はありません。
    インドでは「カリ」は毎日食べる惣菜ですが、
    料理に使うスパイスは、同時に、薬でもあります。
    食べるということと医薬が同源であることを、
    インド料理を通して実践しているのが、このお店です。
    ここまでくると、カレーは思想でもあると思えてきます。

    このほかにも、まだまだいろんな店を取材しました。
    毎年7月の下旬に発売される『飲食マップ青森』(ぷりずむ発行)の
    今年の特集になります。

    (C)ライター斎藤博之の取材日記 ブログ管理者 斎藤 博之


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