1960年、青森県弘前市生まれ。
1997~1999年、アクセス21出版編集長
2000~2002年、『季刊シンポジオン』編集長
青森市在住、フリーランス・ルポライター/フォトグラファー。
東北や北海道・日本海沿岸各地を主なフィールドとして、祭りや民俗芸能・地域に固有な食文化・街道や海上の道の社会文化史・温泉の文化史・地域のなかの蕎麦やラーメン・地域づくりやNPO活動などについて執筆している。
また、スローフードやエコミュージアム・グリーンツーリズムをテーマとする地域づくりの指導もしている。
<専門分野>
イタコとオシラサマ・祭りと民俗芸能・民俗文化・縄文の社会史・街道の文化史・北前船の社会文化史・スローフード・郷土料理と食文化・地酒や味噌醤油など醗酵食品・地域のなかの蕎麦やラーメン・温泉の文化史・地域コミュニティ・農山漁村と農林漁業・観光物産・グリーンツーリズム・地域づくり・エコミュージアム・地域学・エコロジー・NPO・自分史指導・その他
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青森ねぶた祭りは、毎年8月2日~7日に行なわれています。
今年のネブタをいくつか紹介しましょう。
(画像1:青森工業高校の担ぎねぶた)
青森のネブタは、大型ねぶたによる合同運行のほかに、
市内の各町内会で、もともとは、このように担ぐものでした。
昔の担ぎねぶたを復活させた二団体が、毎日交替で運行します。
(画像2:藤本建設の大太鼓)
津軽のネブタには、大太鼓がつきものです。
弘前・青森・五所川原と、みな大太鼓があります。
青森では大太鼓を持つ二団体が、毎日交替で運行します。
(画像3:竹浪比呂央_三菱)
竹浪比呂央さんが制作した、三菱(菱友会)のねぶたです。
この団体は、毎年、地元の伝説をテーマにしています。
賞は逃がしましたが、菱友会らしい、いいねぶただと思います。
(画像4:跳ね人)
青森のねぶたに欠かせないのが、跳ね人です。
ラッセラー、ラッセラー、ラッセラッセ、ラッセラー
の掛け声で跳ねます。
(画像5:北村隆_に組)
北村隆さんの制作した、消防に組のねぶたです。
に組は、ことしから北村隆さんに制作を依頼しています。
消防団の組織のねぶただけに、火消しの纒を題材にしました。
わたしの住む町内会のねぶたです。
(画像6:北村隆_ヤマト運輸)
北村隆さんの制作した、ヤマト運輸のねぶたです。
観光コンベンション協会会長賞を受賞しました。
抱えられた大車輪と、はっと目を惹く梅の花に、注目してください。
(画像7:北村隆_山田学園)
北村隆さんの制作した山田学園のねぶたは、
去年まで3年連続でねぶた大賞を受賞しましたが、
ことしは惜しくも青森市長賞でした。
人物を取り巻く経には、一字一句、観音経が書かれています。
11回も最高の賞に輝いた北村隆さんのねぶたは、さすがです。
(画像8:北村蓮明_日立)
北村蓮明さんの制作した日立のねぶたです。
ことしのねぶた大賞を受賞しました。
ここ数年、蓮明さんのねぶたには緊張感がみなぎってきましたが、
ようやくにして大賞を獲得しました。
蓮明さんは最優秀制作賞、
日立は囃子賞と跳ね人賞を、同時に受賞しました。
おめでとうございます。
(画像9:北村蓮明_板金)
北村蓮明さんの制作した、もうひとつのねぶたです。
青森県知事賞を受賞しました。
蓮明さんのねぶたは前に大きく迫り出し、
横から見ても美しいのが特徴です。
(画像10:北村蓮明_板金)
板金のねぶたの一部分を拡大してみました。
止まっているはずの纒に動きがあるようにみえます。
賞をとらなかったねぶたにも、相当に素晴らしいものがありました。
年々、ねぶたの技術は向上しているように思います。
相馬町のネブタ
(画像1:相馬町子どもねぶた愛好会「羅生門」制作・野沢てつ治)
青森のネブタは、大型ねぶたによる合同運行のほかに、
市内の各町内会で、地域のネブタが行なわれています。
大型ネブタでは、作り手と運行団体と跳ね人が、みな別々になってきたのに対し、
地域のネブタには、ネブタが市民のものだったころの雰囲気が、よく残っています。
7月29日~30日に行なわれたネブタを紹介しましょう。
(画像2:相馬町のねぶたの曳き手)
相馬町のネブタ運行は、子どもたちが主役です。
要所要所に大人がいて助けてくれますし、
そもそもネブタを作ったのは大人たちなのですが、
この日ばかりは子どもたちの晴れがましい舞台です。
(画像3:相馬町のねぶた囃子屋台)
(画像4:相馬町ネブタの太鼓)
(画像5:相馬町ネブタの笛と鉦)
少し年上になれば、子どもたちは囃子方を担当します。
笛・太鼓・手びら鉦のすべてを、子どもたちがやるのです。
(画像6:相馬町ネブタの運行)
ネブタは町内をくまなく歩いていきます。
ときどき、沿道で待っている人がいたり、
花(ご祝儀)を用意している人もいます。
かつて、このような折に、「いっぺらっせ、いっぺらっせ」(いっぱい出せ)と
囃したのが「らっせら~」の掛け声の起源でした。
(画像7:相馬町の前ネブタ「暫」)
大きなネブタの入っていけない路地には、
小さな一人ネブタが入っていきます。
どの路地にも、ネブタは必ず廻ってきます。
(画像8:相馬町の手持ち燈籠)
行列のなかに、こんな燈籠を持っている人がいました。
ネブタの製作のときに、余興で作ったのでしょうか?
題材にあわせて、切られた鬼が飛んで行くかのようでもあります。
(画像9:相馬町のねぶた=部分)
相馬町のネブタは、長く途絶えていたものを、数年まえに復活させました。
ネブタ作りの心得のある人を頼んではいますが、
町内に小屋を置き、仕事が終わればここに集まって、
わいわいがやがやと作るのです。
むかしは大型ネブタもこのように作っていたものです。
ところで、制作の野沢さんは、佐藤伝蔵に教わったこともあり、
鹿内一生の小屋にも出入りしていたようで、
子どもネブタだからと馬鹿にしたものではありません。
(画像10:相馬町のねぶた=顔)
「地域の人たちと一緒にネブタを愉しむことが出来て、幸せです」
野沢さんがそう言う気持ちが、この祭りから伝わってきます。
町内のネブタには、大型ネブタにはない楽しさがありました。
2008年の青森ねぶた祭りは、すでに8月7日に終わっていますが、
ご覧いただけなかった方のために、何台かのネブタを紹介しましょう。
*本業の取材や撮影のあいまに、たまたま携帯で撮影したものです。
*取り上げたネブタは、意図して撰んだわけでもないので、ご了承願います。
北村隆のネブタ
(画像1~3:山田学園「忠臣・児島高徳と范蠡」制作・北村隆)
今年の「ねぶた大賞」「最優秀制作者賞」を受賞しました。
北村隆は、昨年もこの淡い色使いで見るものを唸らせました。
北村隆と山田学園は、3年連続で大賞を受賞。
(画像4:ヤマト運輸「花和尚・魯智深」制作・北村隆)
同じく北村隆のネブタです。「観光コンベンション協会会長賞」を受賞しました。
向かって左手の人物の足は右手人物の頭上にあり、
完全に宙に浮いている格好です。
どこにも支えがなくても、この構図が作れる、北村隆の特徴です。
北村蓮明のネブタ
(画像5:日立「菅原道真、雷神と化す」制作・北村蓮明)
こちらは北村蓮明のネブタです。
「青森県知事賞」と「優秀制作者賞」を受賞しました。
北村隆の双子の兄弟で、かつては協働で制作にあたっていました。
極端に前傾する、左右の上隅までいっぱいに盛り上げる、
北村兄弟に共通していますね。
日立の囃子方は、このネブタいっぱいに広がる雷神の太鼓に合わせて、
強く響くようにネブタ囃子を打ち鳴らしました。
3年連続の「囃子賞」受賞です。
なお、蓮明の作ったもうひとつのネブタ(板金)も
「商工会議所会頭賞」を受賞しています。
竹浪比呂央のネブタ
(画像6:JR「将門の神霊、瀧夜叉を救う」制作・竹浪比呂央)
「青森市長賞」と「優秀制作者賞」を受賞した竹浪比呂央のネブタです。
このネブタの、大きな白い髑髏ときたら、なんでしょう。
ネブタでは、塗り残したかのような白は、嫌われます。
こんなことをするのは、おそらく、竹浪比呂央が初めてでしょう。
ネブタにし難いものを扱おうとする、それが竹浪の特徴です。
(画像7:三菱「蓬田村伝説 金光上人と阿弥陀川」制作・竹浪比呂央)
さらに、こちらのネブタの主役は、弥陀の光です。
三菱のネブタでは、地域に伝わる伝説を取り上げています。
地域を主題にネブタを作るのは、竹浪の師事していた千葉作龍が初めてですが、
竹浪は怨念の世界から抜け出て、未来をも表現しようとしています。
千葉作龍のネブタ
(画像8:消防二分団「天下布武『信長の野望』」制作・千葉作龍)
千葉作龍は、こんにちの青森ネブタの潮流を築いた人です。
大賞は作龍が独占していた時代がありました。
多くの弟子を育て、他のネブタ師からの人望も集めています。
柳谷優浩のネブタ
(画像8:日本通運「天下布武『信長の野望』」制作・柳谷優浩)
柳谷優浩は、去年、大型ネブタの制作を休んでいました。
休んでいるあいだ、作龍の小屋で手伝いをしていました。
これが大いに勉強になったのでしょう、柳谷のネブタは大きく変わりました。
本人の顔も、穏やかになったようです。
柳谷のネブタには、以前は独特の世界観を表す言葉がありましたが、
その表現を支えていく土台が、ようやく成熟してきたように思います。
柳谷のこれからに、注目していきたいと思います。
紹介したのは、すべてのネブタではなく、すべてのネブタ師でもありません。
たとえば、名人・佐藤伝蔵の系譜に連なる制作者や、
名人・鹿内一生の流れを汲む「我生会」の制作者が作ったネブタを、
ここに紹介できなかったのは、たんに写真がなかったからです。
ことしなくなった石谷進の遺志を引き継ごうとしている「愛好会」も、
ネブタを市民の手に取り戻そうという「私たちのねぶた」もあります。
なお、ネブタ師についての記事などを
『あおもり草子 2008年ねぶた祭り』
に書いたので、ぜひ読んでくださいね。
正月朔日から二日にかけて、大日堂舞楽(秋田県鹿角市)を見てきました。
今回は文章だけを書くために行ったので、写真を撮れませんでした。
ここに紹介している画像は携帯電話で撮ったメモです。
(画質も悪く、ピンも来ていませんので、ご了承ください)
(画像1「小豆沢の水垢離」)
大日堂舞楽は、鹿角八幡平の四つの集落が、演目を担当して舞う。
能衆(舞人や囃子方など)は地付神役。
土地を与えられて役を行なう、世襲だ。
それぞれの集落の能衆が、夜明け前、
水垢離をとるところから舞楽は始まる。
(画像2「小豆沢の神事」)
深夜、五ノ宮嶽の神社から、小豆沢の能衆が神である権現様を連れて、
太鼓を打ち鳴らしながら賄い宿に入る。
賄い宿は、祝い事のある家が引き受けてきた。
能衆は、ここで御膳をいただき、水垢離をして舞の衣装に着替える。
御膳には、かつては鮫の刺身と、鮫の吸い物が付き物だった。
衣装を調い終えれば、権現様を拝み、お神酒をいただく。
このあと、集落内の寺社や別当の家を廻り、舞を奉納して歩く。
(画像3「大里の工匠舞」)
陽の昇るころ、二つの集落が畑のなかで出会う。
お互いに舞を披露し、正月の挨拶をする。
(画像4「小豆沢と大里の行列」)
北と南から、二つずつの集落が大日堂へ向かう。
(画像5「籾押し」)
大日堂へ四つの集落が合流すると、神殿の前庭で神事の舞を納め、
能衆の行列は御堂を三回まわる。
突然、奇声を発して板を踏み鳴らし、若い衆が乱入してきた。
大日堂のある小豆沢の集落の若衆だ。
(画像6「幟上げ」)
若衆は御堂の二階へ上がり、入場する能衆の幟を受け止め、
階上からこれを吊るす。いよいよ舞が始まる。
(画像7「小豆沢の能衆の神子舞」)
すべての能衆が「神子舞」と「神名手舞」を舞わなければ、
舞楽は始まらない。
神を拝み、これから神になりかわって舞う、ということだ。
(画像8「舞台袖の囃子方」)
御堂の真ん中に据えられた畳数枚ばかりの台が、舞の舞台だ。
その舞台を見物の人々が輪になって取り囲んでいる。
舞台の袖に太鼓を据えて、撥を振り下ろせば舞が始まる。
ゆったりと同じ仕草を繰り返す舞と、
大地を刻むような心に響く太鼓の音。
軽快な見せ場やリズムがあるのではないが、
大日道の舞楽は、その音楽に特徴がある。
四つの集落の能衆が、七つの舞を分担して演ずる。
1)権現舞(小豆沢)
2)駒舞(大里)
3)烏遍舞(長嶺)
4)鳥舞(大里)
5)五大尊舞(谷内)
6)工匠舞(大里)
7)田楽舞(小豆沢)
初めと最後は、大日堂のある小豆沢が担当する神事の舞だ。
「権現」は獅子頭。東北では神そのものとして拝まれている。
(画像9「大里の鳥舞」)
見物の人びとに人気のあるのは稚児が舞う鳥舞であろう。
(画像10「谷内の五大尊舞」)
大日堂は、いまは「大日霊貴(おおひるめむち)神社」となっているが、
もともとは大日如来を祀る真言の寺院であった。
明治維新後の廃仏毀釈で神社になったものの、
建物の構造は寺の時代のままだ。
もともと神仏混淆なので、昔のまま芸能は伝えられてきた。
舞のなかに山伏修験の影響を随所に見ることができる。
五大尊舞とは、金剛と胎蔵の大日如来を中心とする菩薩の舞だ。
深夜の水垢離から始まった行事が終わったのは、二日の正午。
大日堂舞楽は、国の重要無形民俗文化財に指定されている。