1960年、青森県弘前市生まれ。
1997~1999年、アクセス21出版編集長
2000~2002年、『季刊シンポジオン』編集長
青森市在住、フリーランス・ルポライター/フォトグラファー。
東北や北海道・日本海沿岸各地を主なフィールドとして、祭りや民俗芸能・地域に固有な食文化・街道や海上の道の社会文化史・温泉の文化史・地域のなかの蕎麦やラーメン・地域づくりやNPO活動などについて執筆している。
また、スローフードやエコミュージアム・グリーンツーリズムをテーマとする地域づくりの指導もしている。
<専門分野>
イタコとオシラサマ・祭りと民俗芸能・民俗文化・縄文の社会史・街道の文化史・北前船の社会文化史・スローフード・郷土料理と食文化・地酒や味噌醤油など醗酵食品・地域のなかの蕎麦やラーメン・温泉の文化史・地域コミュニティ・農山漁村と農林漁業・観光物産・グリーンツーリズム・地域づくり・エコミュージアム・地域学・エコロジー・NPO・自分史指導・その他
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北国の遅い春は、一度にやってきます。
あらゆる花が、一斉に咲き出しました。
取材の途中で見つけた、津軽の春を紹介します。
(画像1:津軽富士見湖の桜=青森県鶴田町)
津軽平野の桜も、ようやく満開です。
津軽富士見湖のほとりで、桜の花のトンネルを見つけました。
(画像2:水辺一面の水芭蕉=弘前市の旧岩木町湯段)
岩木山の裾野にある湯段の沼は、一面が水芭蕉に覆われていました。
住んだ清らかな水が流れなければ、水芭蕉は育ちません。
(画像3:岩木山麓の水源地に咲く片栗)
同じ旧岩木町の新岡で、片栗の群落を見つけました。
片栗は春先に芽を出しては、地下茎に養分を蓄え、
すぐに枯れて翌春を待ちます。
こうして少しずつ、少しずつ大きくなり、
何年もかけて、やっと花を咲かせるのです。
どこぞのラーメン博物館の喧伝する「ご当地ラーメン」とは違って、
田舎のあまりハイカラとは言えない食堂のラーメンは、
しみじみと郷土の味がする。
行列の出来る大都会のラーメンとは反対に、
地域の人びとが飯どきに通う店のラーメンは、
ひとつの郷土料理だと言えるでしょう。
ラーメンこそは郷土料理である!
(画像1:秋田県鹿角のラーメン~八幡平の宮川屋)
今回は、秋田県鹿角市八幡平、大日堂のとなりの
「中華蕎麦 宮川屋」を紹介しましょう。
お客さんのほとんどは、「大きいの」と注文しています。
これは「飯肉大ラーメン」のこと。
「飯肉大ラーメン」のラーメンは一人前、
「飯肉小ラーメン」のラーメンは半人前、なのだとか。
(画像2:「飯肉大ラーメン」ラーメンと馬肉煮付けの定食)
出てくるのは、丼飯に、馬肉の煮込み、漬物と、ラーメン。
馬肉は醤油で煮てあり、少し固めですが、素朴な味わい。
秋田県北では、お祭りのとき、馬を食べる習慣があります。
普段も、家庭やお店で食べるだじぇでなく、
行楽に馬肉と根曲竹の筍の焼きそばを持って行ったりする地域です。
「肉」が直ちに馬肉を意味していると解かるところが、郷土食らしいところ。
(画像3:メニューに並ぶ「飯肉ラーメン」)
そういうわけで、メニューに「飯肉ラーメン」のオンパレード。
他所の土地から来た人ならば如何なる食べ物なのか首をかしげるでしょうが、
この店は地元のお客さんがほとんどなので、みな至極当然のような顔をしています。
なにしろ、暖簾をくぐるなり「大」と注文するわけですから。
(画像4:宮川屋のラーメンは懐かしい味がする)
ラーメンは、煮干しと昆布だけの出しに、チャーシューの煮汁の醤油ダレ。
ほかに何にも入れていないシンプルなスープ。
「この地域では昔からスープはこれなんだ」とご主人
麺は少しモチモチした噛み応えがあります。
純朴な、昔懐かしいラーメンでした。
(画像5:「肉皿」北秋田の名物は馬肉の煮付け)
この地域では、ラーメンと言えばこれ。
ことさらインパクトのある味付けをしているわけでも、
目を引くような食材を用いているわけでもありませんが、
滋味に溢れた一品でした。
ごちそうさま。
八戸にも鯨餅があることを知りました。
八食センターで売っていたので、早速購入してみました。
(画像1「八戸の鯨餅」包み紙)
包み紙には、「港名産 八戸太郎 鯨餅」と書かれています。
製造元は、八戸市小中野の「御菓子処ちぐさ」。
原料は、「うるち米、もち米、砂糖、小豆」。
(画像2「八戸の鯨餅」中身)
鰺ヶ沢の鯨餅に近いタイプです。
いつごろから作っているのか、ほかにも八戸に鯨餅があるのか、
調べてみなければなりません。
正月朔日から二日にかけて、大日堂舞楽(秋田県鹿角市)を見てきました。
今回は文章だけを書くために行ったので、写真を撮れませんでした。
ここに紹介している画像は携帯電話で撮ったメモです。
(画質も悪く、ピンも来ていませんので、ご了承ください)
(画像1「小豆沢の水垢離」)
大日堂舞楽は、鹿角八幡平の四つの集落が、演目を担当して舞う。
能衆(舞人や囃子方など)は地付神役。
土地を与えられて役を行なう、世襲だ。
それぞれの集落の能衆が、夜明け前、
水垢離をとるところから舞楽は始まる。
(画像2「小豆沢の神事」)
深夜、五ノ宮嶽の神社から、小豆沢の能衆が神である権現様を連れて、
太鼓を打ち鳴らしながら賄い宿に入る。
賄い宿は、祝い事のある家が引き受けてきた。
能衆は、ここで御膳をいただき、水垢離をして舞の衣装に着替える。
御膳には、かつては鮫の刺身と、鮫の吸い物が付き物だった。
衣装を調い終えれば、権現様を拝み、お神酒をいただく。
このあと、集落内の寺社や別当の家を廻り、舞を奉納して歩く。
(画像3「大里の工匠舞」)
陽の昇るころ、二つの集落が畑のなかで出会う。
お互いに舞を披露し、正月の挨拶をする。
(画像4「小豆沢と大里の行列」)
北と南から、二つずつの集落が大日堂へ向かう。
(画像5「籾押し」)
大日堂へ四つの集落が合流すると、神殿の前庭で神事の舞を納め、
能衆の行列は御堂を三回まわる。
突然、奇声を発して板を踏み鳴らし、若い衆が乱入してきた。
大日堂のある小豆沢の集落の若衆だ。
(画像6「幟上げ」)
若衆は御堂の二階へ上がり、入場する能衆の幟を受け止め、
階上からこれを吊るす。いよいよ舞が始まる。
(画像7「小豆沢の能衆の神子舞」)
すべての能衆が「神子舞」と「神名手舞」を舞わなければ、
舞楽は始まらない。
神を拝み、これから神になりかわって舞う、ということだ。
(画像8「舞台袖の囃子方」)
御堂の真ん中に据えられた畳数枚ばかりの台が、舞の舞台だ。
その舞台を見物の人々が輪になって取り囲んでいる。
舞台の袖に太鼓を据えて、撥を振り下ろせば舞が始まる。
ゆったりと同じ仕草を繰り返す舞と、
大地を刻むような心に響く太鼓の音。
軽快な見せ場やリズムがあるのではないが、
大日道の舞楽は、その音楽に特徴がある。
四つの集落の能衆が、七つの舞を分担して演ずる。
1)権現舞(小豆沢)
2)駒舞(大里)
3)烏遍舞(長嶺)
4)鳥舞(大里)
5)五大尊舞(谷内)
6)工匠舞(大里)
7)田楽舞(小豆沢)
初めと最後は、大日堂のある小豆沢が担当する神事の舞だ。
「権現」は獅子頭。東北では神そのものとして拝まれている。
(画像9「大里の鳥舞」)
見物の人びとに人気のあるのは稚児が舞う鳥舞であろう。
(画像10「谷内の五大尊舞」)
大日堂は、いまは「大日霊貴(おおひるめむち)神社」となっているが、
もともとは大日如来を祀る真言の寺院であった。
明治維新後の廃仏毀釈で神社になったものの、
建物の構造は寺の時代のままだ。
もともと神仏混淆なので、昔のまま芸能は伝えられてきた。
舞のなかに山伏修験の影響を随所に見ることができる。
五大尊舞とは、金剛と胎蔵の大日如来を中心とする菩薩の舞だ。
深夜の水垢離から始まった行事が終わったのは、二日の正午。
大日堂舞楽は、国の重要無形民俗文化財に指定されている。